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OBからのメッセージ

私と馬術部

昭和33年、私の馬術部入部の経緯は、皆さんとはかなり違っていると思う。

もともと球技が好きだったが、高校時代は勉強一本やりで部活動はやっていない。ラグビーが結構強く冬の体育は殆どラグビーばかりやっていたような気がする。

そのような関係もあって、大学では何か球技、ラグビーか野球をやる気になっていた。当時1,2回生の教養時代は宇治と吉田分校に通い、宇治の生活に慣れた頃野球部に入る気でグランドの練習を見に行った。話によると新入部員の殆どは高校時代に硬式か、軟式の野球の経験がある者であるらしいこと、京大のように弱いところでも経験者なのだとちょっと驚く。スタートで差があるのではともくろみ違いでその日は帰る。そうこうしているうちに仲のいい友人も何人かでき学校生活が面白くなり始める。その友人が馬術部員であった。彼からは一度見に来いとか、入部を勧められたりしたが馬なんて考えてもいなかった。しかし夏が過ぎその友人との親密さも増していくに従い、馬術はともかくこの友人は将来ともかけがいのない友人になりそうな予感がして、とにかく馬場に行く、行くと乗ってみろといわれボロボロの服を着せられて、馬場に入るといきなり先輩らしき部員から大声で「バカヤロー」と怒鳴られ、わけもわからないままに落馬しては飛び乗り、落ちては乗っていた。ただ馬場から出るとどの先輩も親切でいろいろ面倒を見てくれる。えらいところに入ったと思ったが、こうなってはあとには引けぬ、こちらも意地になって鞍数を増やしていった。この年から全日本学生自馬選手権が始まり京大馬術部の黄金時代が始まっている。第1回から連続3回の全日本学生自馬団体優勝を果たし活気に満ちていた。30分の練習にたいして、何倍かの手入れや、草刈、飼付け、週1回の宿直当番など他の運動部では考えられない時間的負担があり、当時から1,2年で退部する部員がかなりいた、3回生になると特に理系の学生にとっては実験、部活、バイトとの両立が厳しくなっていたのは事実である。私はもうこの頃は馬術の面白さはもちろん、この仲間たちと離れがたく退部など考えられなくなっていた。1日24時間を如何に効率よく、使っていくかに集中し以前にまして充実した学生生活が送れたと思っている。春、夏、冬合宿(1週間、朝、夜の食事は当番が輪番で自炊)、各対抗試合を通じてまた学部、出身地の違う学生同士、いろんな考え方があることや共同生活により仲間意識が強くなり、今から思ってもこの頃の経験が社会人になってからの人間形成に大きく影響していると思っている。

当時の京大生は多くが貧乏で、合宿明けに飲むアルコールは濃硫酸の入っていただるまビンでどぶろくを買ってきて、セメントを混ぜる鉄板の上に蹄油をぬり、近くで買ってきたホルモンを焼き、飲みそれこそ意識がなくなるぐらいまで飲み明かしていた事もあった。

当番のとき、朝は天気よいので寝藁を天日干しして授業に出ていると急に雨が降りこっそり教室を抜け出し寝藁を取り入れに行った事もあった、何回か続くと教授も半ば公認してくれていた。

4回生の秋全日学生に銀春で出ることになり、夏ごろより7時からの早朝演習を閣下(高三教官)に見てもらうため、かなりの日数自宅のある桂から通ったのも懐かしい。

私の場合馬術部は学生時代だけでは終わらず今でも続いている。馬に直接乗る事はないが、当時の馬仲間といまだに年に一度ぐらいは会って酒を酌み交わし旧交を温めている。入部を誘ってくれた友人は予感どおり今も親友としてよく会ってはだべっている。最初に言ったように私の馬術部は馬術そのものより人にあったのかもしれない。

半田 良治
農学部 農芸化学科卒(昭和37年)
三菱レイヨン(株)研究部門、樹脂開発と一貫して研究部門に従事
リタイヤ5年前から地球環境対策室を創設、企業内部から環境負荷の把握と低減に取り組む。




今だからこそ3Kを

北京五輪の馬場馬術団体に法華津寛(ほけつひろし)氏が67歳で出場される。5年前に現役の仕事を退き、競技生活を再開されたという。この年代に新しい生活に挑む勇気は、高齢社会の快挙といえる。

私も大学時代には馬術部に所属し、競技に夢中になり最短の学業時間で青春を過ごした。馬術は見た目には格好の良いスポーツであるが、実際は若者に嫌われた3K(きつい、汚い、危険)そのもの。馬の世話、馬場の整備、飼料代を稼ぐためのアルバイトで体力的にもくたくたで、講義中は睡魔との闘いだった。

しかし、このときの忍耐と苦楽を共にした仲間との生活が、その後半世紀にわたる研究活動に大いに役立った。食の研究のために世界中を巡るには様々な困難にも遭遇したが、粘り強く続けてこられたのは、辛い経験を乗り越えたお陰だ。

今、物質的に満たされた日本に、意欲を失い、夢や希望を見いだせずに立ち止まっている若者が多い。頭の中で理想を追うのは容易(たやす)いが、身体を鍛えないことには現実の中で生きるのは辛い。若者には自ら3Kの世界に飛び込む勇気を持ってもらいたい。この春進学する若人には、部活でも奉仕活動でも、身体を使って本気で取り組める何かに挑戦して欲しい。

母校の馬術部も、部員が減少して存続が危ぶまれるようになった。そこで昨年度、OBと現役部員が協力してPRに努めたところ、近年になく大勢の新入生が入部してくれた。過保護に育った若者には、年配者の助言が的確であれば強い味方となる場合もある。日本の将来を担う頼もしい若者が育つ土壌を培うことは、我々人生の経験者に課せられた義務でもある。

2008年 日本経済新聞夕刊 「あすへの話題」 第13回 3月29日分

家森 幸男
医学部卒(昭和37年)
予防栄養学研究者




馬術部は人を育て、人的ネットワークを育てる

川重で航空宇宙事業部・技術部長をやっていた頃、航空宇宙事業部を希望する学生の採用面接を、何年間かやっておりましたが、学生時代に部活(特に運動部)をやっていた学生は何か違うところがあったように記憶しています。会社は「人的協調性が非常に重要な要素」と考えており、部活を通じて鍛えられた人は、本人が気付かない内に成長しており、面接の雑談でも良い感触が得られたように思います。

馬術部は、生き物を扱うため今も昔も学生にとって厳しい環境だとは思いますが、「馬を育てる以上に、自らが育つこと」、その時点では本人は気が付かないが「後で良かったと気付くこと」が先輩諸氏共通の想いではないかと思います。

大学卒業後41年経ちますが、学部を超えた幅広い分野の良き友人としての付き合いが今尚継続しており、人間の巾を広げたり、刺激を受けたりと大いに役立っています。 

川重・航宇事業部のOBの月例会に参加していますが、老人の集まりなので何かにつけ「健康」が話題になります。昨年、銀蹄会の家森理事長からNHK教育TV番組「知るを楽しむ・この人この世界〜長寿の謎を解く〜」(2006.12〜2007.01)のテキストを送って頂き番組を拝見させて頂いていましたが、この番組を川重OBの方にも紹介したところ、理事長の語りに皆さん感心されていました。良き大先輩を誇りに感じた次第です。こういった展開も馬術部のネットワークのお陰と言えます。

馬術部で過ごして良かったと、心底思える今日この頃であります。

橋本 晃
工学部 航空工学科卒(昭和41年)
川崎重工業(株)航空宇宙事業部で航空機の開発に携わっていました。飛行機に憧れてこの道に入り、最後に関わった飛行機がパイロット訓練に用いる中等ジェット練習機T−4(ブルーインパルス機として長野冬季オリンピックの開会式で大空に五輪マークを描いた飛行機)で、開発当時は空力形状線図をまとめる立場にいましたが、定年退職し現在は非常勤ではありますが経済産業省の「ITとものづくりネットワーク事業」の中で中小企業への支援活動のお手伝いをやっています。




難関を突破されてのご入学おめでとうございます。私も45年前にあなた方と同じように京都大学の門をくぐり、受験時代に夢見たバラ色の大学生生活を実践したく思い、体育会の機関誌「濃青」の頁をめくる中に、障害を今正に跳び越えようとしている馬の写真に目がとまり、馬術部に入部してしまいました。入部後は伝統を踏まえた厳しい先輩方のご指導のおかげで全日本学生自馬選手権大会総合馬術団体戦・準優勝を始め赫々たる戦果を挙げることができましたが、最も楽しい思い出は3回生になって任された新馬調教です。今まで障害を跳んだ経験もない馬を、騎手の指示に従って難しい障害も果敢に跳び越えていく従順な馬に仕上げて、次の学年に渡していくという馬術部独自の仕事です。馬と人との信頼感を築き上げるには、馬場を離れた野外での体験を愛馬と共に色々経験していくことが早道です。そこで、吉田山は勿論、北白川の瓜生山、比叡山の雲母坂などの道なき道を毎日のように人馬一体となって究めました。その努力もあって、競技会において初陣を飾ることが出来ましたので、4回生の夏休みに千葉県の小林牧場で約10日間に亘って行われた講習会へ人馬共に参加することが認められ、広い牧場を愛馬に跨って駆け回るという学生時代でしかできない体験をさせて貰いました。

道なき道を踏み分けるという馬術部での新馬調教経験が影響したとは言いませんが、卒業後は専門分野を原子核工学から生物物理学へと変更し、生命現象を物理学的観点から解明しようという姿勢にこだわりを持ち続けて人生を歩んで参りました。旭化成工業に就職し定年迄勤め上げた後、現在名古屋大学医学部にてマウス胎児の脳発生過程を解明する研究室に所属し、電子顕微鏡観察を担当しています。私生活では昨年初孫にも恵まれる程の年齢には達しておりますが、この分野において新しい知見を得て論文の形にして残すことを課題として日々精進しております。

新入生の皆様も是非馬術部に入部されて学生時代でしか得られない体験を積み上げられ、それを糧として稔り多い人生を送られることを願っております。

今福 宏司
工学部 原子核工学科卒(昭和42年)
名古屋大学大学院・医学系研究科・研究員(理学博士)




京大馬術部の魅力は一言で言えばマルチな経験が出来たことだったと思う。私は、入学したら是非馬術をしようなどと思っていたわけではなかった。しかも、試合で大活躍できたわけでもない。それでも、あの時代のことはワクワクするくらい充実感を持って思い出される。

馬のことを少しずつ知って行く喜び、初めて落馬させられた経験、野外騎乗、新歓騎乗、水馬、先輩や仲間の部員の頑張っている姿を目の当たりにしたことも、先輩訪問やアルバイトに出たことすらも、初めて聞いた合宿での輪講の内容も・・、すべてそこだけにあった貴重な体験であった。

3年4年と続けていると、馬術技量の進歩だけでなく、責任馬を通じて様々な出来事に出会った。新馬買い付けや調教に取り組んでいた人は更なる経験をしたであろう。次々と新しい経験が待っていた。卒業して実際に仕事をするようになっても、仕事はいつも仲間との共同作業である。

辛抱強く何でも嫌がらずに様々なことに積極的に取り組む姿勢は、もしかすると馬術部の生活の中で育てられたのかもしれないと密かに思っている。

家森 百合子
医学部卒(昭和42年)
小児科医:聖ヨゼフ聖肢園(小児神経専門医・リハビリ専門医)




馬術が培った体力と気力、それに人間力、忘却力

卒業後、京都市役所に入り、プロジェクト中心に仕事をしてきました。「京都市社会教育総合センターと1区1図書館の建設」プロジェクトを手始めに、「同和教育指針と教育指導法の確立・学習センター建設」、「生涯学習センターと財団」の運営、「ハイビジョン」、「生涯学習情報システム」、「女性自立支援」、「情報新世紀京都21」の策定、「情報処理」、「デジタルアーカイブ」、「新京都市観光推進振興計画」の策定、「観光立国」「国家戦略としての京都創生」などです。特に印象的なのは、自らがトップとなって行った「デジタルアーカイブ」と「観光立国」のプロジェクトで、それぞれが今や国家戦略となり、その研究を引き継いで、平安女学院大学で教鞭をとっています。

こうしたプロジェクトを行う基礎となったのは、なんと言っても馬術部時代に培った体力と気力、人間力です。当時の馬術部長は、奥田東、小林章、澤田敏男先生らで、先生方のご紹介から、桑原武夫、河野健二、上田正昭、千宗室(玄室)、塚本幸一、長尾真の諸先生方に直接ご指導を仰ぐことができました。

さらに忘れてならないのは馬とのふれあいのなかで学んだ忘却力です。人生は山有り谷有りで、行き詰まったり、悩んだり、苦しんだりすることがあるのは当然です。愛馬の背に揺られつつ、四季の花々、四季の山々、四季の大空と戯れる術を会得し、忘却力を培えたことが、プロジェクトを継続しうる大きな力になりました。

清水 宏一
法学部卒(昭和43年)
平安女学院大学 国際観光学部 教授




馬術部員として過ごした大学生活

高校までまともな運動などして来なかったが、大学に入り運動したくなった。そのとき4年間続けられるだろうと思いあたった唯一の体育会系の運動部が馬術部であった。自分で走らなくてよいというのが、重要な選択理由のひとつであった。

私が在籍した4年間では、繋養馬が20頭を下ることはなく、常に人の頭数の方が少ない状態が続いていた。私自身は馬に乗るのが好きであったし、よい先輩、同輩、後輩に恵まれたので、4年間辞めずに続けた。戦績はというと、4回生のときにはブケファロスという騙馬で全日本学生の総合馬術競技にださせていただいた。ブケファロスという名は、アレキサンダー大王が東征に引き連れたという名馬に由来し、東を征する馬になれと名付けられたと聞いていた。部の運営、競技成績、いろいろな課題に対し十分に答えをだせないで4年間を終えたが、その中でもがいたこと自体が大きな糧となって残った。特に同輩である二人の親友(赤松、小林)を得た、それだけでも貴重な4年間であった。

大学院修士課程在学の2年間だけであったが、助教として馬術部運営の手伝いもさせてもらった。卒業したてのOBが積極的に下支えするのも、京大馬術部のよき伝統ではないかと思う。私が馬術部を離れ、5年もすると部員数も増えはじめ、つい最近までは活動もにぎやかになっていたと感じていた。さて近頃また部員数減少期に入っているとの話を聞くが、また数年後にはにぎやかになっていることだろう。京大馬術部には、そのような不思議な魅力があり、現役部員の頑張りとOB連中の励ましが絶えない場所である。

森 英郎(元助教)
理学部卒(昭和60年)・大学院理学研究科修士課程修了(昭和62年)
協和発酵工業株式会社・バイオフロンティア研究所・主任研究員




京都の街中で馬に乗れるのは、伝統ある京大馬術部ならではの贅沢です。練習も馬の世話も楽ではありませんが、仲間と力を合わせて、馬達に癒されながらやるからこそできます。時には、馬に乗って花見や紅葉狩りにも出かけます。4年間の後には、一回りも二回りも成長したあなたと、生涯の友と、最良の思い出が手に入ることは間違いありません。馬術部で学んだことは社会に出ても役に立ち、高く評価されます。大学構内に馬場があるので学業との両立も問題ありません。やりがいを求めているあなたにお奨めです。

岩里 琢治(元教官)
理学部卒(昭和62年)・大学院理学研究科生物物理学専攻(理学博士:平成4年)
国立遺伝学研究所 教授




学生時代に新たなことに挑戦するなら「学生馬術」と言いたい。

高校時代にスポーツクラブに入っていなかった僕は、大学では何かスポーツをしたかった。テニスサークルやスキーサークルという手もあった。しかし、なんだろう、テニス経験者が軽いノリでやっている感じには抵抗があったし、かといって野球や武道の体育会系で今更経験者に混じってやっていくのも難しいと感じていた。

そんな時に出会ったのが馬術部である。馬術は、ほとんどの学生に経験がない。しかも馬術部はどこの大学にでもあるわけではない。馬術部はスタートラインがほぼ同じだということ、そして京都大学馬術部は私立の大学と戦い、勝とうとしていたこと。それは、僕の心を動かした。

僕が馬術部にひかれたのは、それだけではない。それは、想像もつかないスポーツだということ。馬に乗り、障碍物を飛び越える。華麗に馬を操る。これは、ある程度乗れるようにならないとわからない。これを一つの宇宙だと表現した作家がいた。そんな凄いものと僕は思わないが、確かに人馬一体を感じた瞬間、そこには他にない感動がある。

もう一つ、言うべきことがある。学生馬術はただの馬術ではない。学生が馬の体調管理や調教、そしてクラブの運営のすべて行うということ。教官やコーチが手助けはしてくれる。しかし、主体はあくまでも学生なのである。自分たちのために戦い、後輩のために優秀な馬を残す、そして、みんなが楽しめるクラブ運営を行う。

もし、君が学生時代に新しい何かに挑戦したいなら、僕は学生馬術を薦めたい。

乾 重人
経済学部 経営学科卒(昭和62年)
電力会社 企画部門




一度しかない大学生活、何をしよう?

考えた結果、馬術部の門を叩いた。その後の4年間は、文字通り喜怒哀楽の日々。

2回生の秋から2頭の責任者となり、日々を過ごした。緊張しながら、試合に臨んだ。

馬が病気の時は必死に看病した。夜飼と言って馬のえさやりの後に、先輩後輩

垣根なく飲んで語り合った。競馬場・映画撮影・祭り…のバイト。

馬とともに、人が成長していくのが、京大馬術部の伝統。

卒業後は、どんなことも辛いと思わず受けて立てる自分がいた。

佐渡 嗣
教育学部 教育心理学科卒(平成4年)
JR貨物(企画・人事等)




南部キャンパスから飛び出そう!

大学に入学した時は、百万遍の交差点があまりに広くて信号が変わるまでに渡れないのでは・・と不安に思ったほど田舎者の私でしたが、色んなめぐり合わせの末、現在(2007年春)はアメリカの東海岸のYale大学まで出かけて生命科学系の研究生活を送っています。

さて、私が入学した頃を思い返すと、薬学部出身ということから、周りの多くが薬学系サークルに入っており、確かに学生生活のノウハウなど学部内情報を知るには便利そうに見えた気がします。とはいえ、自分自身を今振り返ってみると、馬術部生活の中で、日々まさに「生きている」馬たち、そして様々な学部の先輩・同輩・後輩と触れあったことは「生命科学研究」という職業に憧れを抱かせ、薬学部という枠に捕らわれない、より広い世界に目を向けさせてくれた大きなきっかけの一つになっている気がします。

薬学部、医学部、医学部保健学科など南部キャンパスの新入生の皆さん、京大生活を南部周辺だけで終わらせるのはもったいないと思いませんか?まずは北部と南部を叉に掛けて学生生活を満喫しませんか?北部には北部の風が流れています。南部キャンパスでの生活はその後でもいやというほどたっぷりと堪能できますから。

瀬木(西田)恵里
薬学部・生命薬科学科卒(平成7年)
生命科学研究(現在、Yale大学医学部に博士研究員として留学中)




大学を卒業してから10年近く経ちますが、馬への愛着は尽きることはなく、今も乗り続けています。思い返すと、大学入学時には馬なんて自分とは関わりがないものと思い、クラブの選択肢にも入ってなかったのに、それが不思議なくらいです。

馬術部は生き物を扱う特殊なクラブです。カワイイとかカッコイイとか綺麗事では片付かないことも多いです。それに部員という別の生き物も加わって...。お互い思い通りにならないからこそぶつかり合うこともありましたが、それだからこそ助け合い、工夫し、一つ一つの課題をクリアしていくことができました。今、人とのつながりが希薄になってきているともいわれていますが、ここ馬術部には家族のような人間関係があります。この貴重な経験が、今も私に乗馬を続けさせているのかもしれません。単なる動物好きだったらきっとここまで続かなかったと思います。

また、部員だけでなく先輩達や他大学の部員、その他活動を通じて出会う外部の人達との関わりを通じて、社会人になってからも通用する、礼儀や人と接する心構えなど基本的なことを学ぶことができました。これは会社生活でとても役立っていると今でも感じていることです。

これから入部される方、また検討されている方、大家族の一員として馬術部で活躍されることをお祈りしています!

山本 麻里
農学部 農林経済学科卒(平成10年)
株式会社メニコン 広報宣伝部




馬に乗るって、どういうことかって言ったら、馬と話をすることに他ならないと思うんです。本来言葉の通じない彼らとの間に、共通言語を築き上げること。それが、僕たちが日々の練習の中でやっていることのように思います。毎日毎日、必死になって思いを伝える努力をして、ようやく彼らにそれが伝わったと実感できた瞬間の充実感は、他ではなかなかないです。初めて「歩け」と指示を出したときから、コミュニケーションは始まります。その一歩を、踏み出してみませんか?

中村 暢宏
経済学部卒(平成17年)
会計士志望




唐突ですが、馬術の魅力はどこにあるのでしょうか?このスポーツの特色は、動物と共に行うことにあります。当然、言葉を使って馬と会話することは出来ません。しかし日々の世話や練習の中で「こんなことを考えているのかも?」と思う瞬間があります。こうして馬との対話の質を高めていく作業にこそ、馬術の魅力があると私は思います。馬が、以前よりも合図を理解してくれたり、跳べなかった障害を跳べるようになったりした時には、何物にも代え難い感動を覚えます。パートナーである担当馬のパフォーマンスを最大限引き出すため、自ら考え、悩み、試行錯誤しつつ課題に挑戦する面白さが、京大馬術部にはあります。せっかくの大学生活、新たな挑戦をしてみませんか?

佐々木 悠介
法学部卒(平成27年)
システムエンジニア